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阿吽の呼吸?
 先日、“阿吽の呼吸”について話題になりました。阿吽の呼吸とは、二人以
上で一緒に物事を行うときに、絶妙に?気持ちが一致することを表しています。

 阿吽の呼吸と言うと、何も言わなくても、やるべきことがお互いに意思疎通
できているようなイメージだと言えます。多くの方は、息がぴったり合うとい
う事で、組織においても意思が疎通しているイメージがあると思います。

 ただし、先日議論になったのは、「阿吽の呼吸というものは、理想論であり、
現実の組織ではそんなことを言ってると混乱の原因となる。(上司が)阿吽の
呼吸を要求するために、(部下は)混乱しているのでは…」そんな話題で盛り
上がっていました。「何も言わなくてもわかるだろう、一を聞いて十を知れ」
というのは、日本的な発想で、このグローバルな環境の中では、通用しない考
え方もしれません。皆さんはどんな風に考えられますか?

“阿吽の呼吸”という状態を想定すると、前述の通り様々な考え方があると言
えます。「組織が、阿吽の呼吸で動くのが理想だ」と考える人もいれば、否定
的な見方をする人もいます。大切なことは、当たり前ですが、様々な見方が存
在するということを受け入れることがスタートです。その上で、組織・個人と
して“阿吽の呼吸”追求するかどうかは、良い・悪いという話ではなく、意志
決定の問題だと言えます。勿論、正解はありません。

 確かに“阿吽の呼吸”とは、日本的な発想で、海外では通用しないのかもし
れません。特に最近グローバル化が叫ばれる中では、もっと違うやり方を考え
る必要があるのかもしれません。ただ昨今、グローバル化が連呼される中で、
少し気になるのは、グローバルに通用する、標準化する共通化するという話に
偏っているような印象を受けます。グローバル化に対応することの本来の目的
は、グローバルな環境の中で生き抜く(適応する)ことなので、その手段とし
て標準化、共通化を進める方法もあれば、逆にローカライズ・独自化を進めて
いく方法もあります。

 阿吽の呼吸に限ったことではありませんが、必要以上にやり方にしがみ付く
のは拙いのかもしれません。グローバル化においても、その対応に正解はあり
ませんが、今一度「何を大事にするか」都度、足並みを揃えるは必要ではない
でしょうか。


             (2011/02/14 人材開発メールニュース第617号掲載)
                          humanize:吉次 潤


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