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王監督退任…王さんへの個人的な想い出
 ソフトバンク・ホークス王貞治氏が監督生活に終止符を打った。大病を経て
のこともあり、フロントで野球に関わっていくことはあってもユニフォーム姿
は今後見られないだろうと思うと無性に淋しさを感じる。野球ファンだけでな
く、多くの国民、特に団塊世代や昭和30−40年代生まれには、ON、王さん、
長嶋さんの記録、記憶は鮮明だと思う。

 私には個人的な王さんへの想い出がある。私は、大学1年から4年の夏まで
後楽園球場、今の東京ドームのバックネット裏、通路の売店で、ビールや弁当
を売るバイトに明け暮れた。その4年間は、ジャイアンツのみならず、当時、
後楽園球場がホームであった日本ハムファイターズの試合も全て見ていた(当
然、バイトの合間です)。

 ちなみに、神宮球場が使えずに開催となった阪急ブレーブスとヤクルトの日
本シリーズ、怪物・江川卓投手のイースタンリーグでのデビュー戦もバイトを
しながら観戦した。もちろん、王選手の756号ホームラン、800号ホームランも
その場で見ていた。しかし、私の王さんへの思い出は、その世界記録ではない。

 王さんは、80年に現役を引退している。その年の王さんの記録は打率2割3分
台、本塁打30本、84打点。王さんの年齢は40歳、目や体力の衰えもあったと思
う。並みの打者なら、30本の本塁打は誉められるべき成績なのに、50本、本塁
打王が当たり前の王さんの30本塁打に、ファンは満足しない。
 事実、その年、ジャイアンツが3位で優勝を逃した(この年、長嶋茂雄監督
は電撃解任された)ことも加わって、世界の王さんに罵声、心ないヤジを飛ば
すファンが目立った。バイトで売店にいても、王さんが打席で凡退に終わると
耳をふさぐような言葉が浴びせられたのを今でも鮮明に覚えている。

 そして・・・バイトである私は、試合終了間際に13番ゲートというところで
売れ残りの返品、売上げ精算を行うのが毎試合の決まりだったのだが、そこを
普段、選手が通ることはない。しかし、その年、その13番ゲートから、着替え
が終わった王さんが「お疲れさま」と我々バイトに声をかけて帰る光景に何度
も出くわす。多分、そのゲートから外に出ると、ファンに会うことなく迎えの
車に乗って帰れるのであろう。どこかにファンに囲まれるのを避けていたのか
もしれない。その年は、何度も王さんをその13番ゲートで見送った。見送るた
びに、世界の王、我らのヒーローたる王さんの背中が、小さくか細くなってい
くような気がして、何度か「今日は通らないように」と願ったこともある。王
さんに「お疲れ様」「ご苦労様」と言われて、我々バイトも「お疲れ様です」
「明日の試合もがんばってください」などと返事をする。そのときの王さんは
きまって「おうっ!」と少々元気のない声で左手を挙げて応えてくれた。

 王さんの監督退任のニュースを見ながら、30年近く前の王さんの姿が昨日の
ように蘇り、一段と小さくなった今の王さんに寂寥を感じてしまう。


             (2008/11/03 人材開発メールニュース第505号掲載)


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